不登校児~高校2・3年生編

第3回不登校話。暗い話続きですみません。

 


小学生の頃塾で不登校になったわたしですが

私立の中高一貫校に合格し、

中学校3年間はちゃんと通えていました。

中学2年生の時には、テストで、

学年2百何人の中で17位を取ったこともあるくらい

優秀な生徒でした。(自分で言う)

友達もたくさんいて、

毎日学校帰りにマックでだべったり

カラオケに行ったり

たくさん楽しい日々を過ごしました。

 


高校に上がってからも、

軽音学部に所属し

やりたかった音楽を始めることが出来ました。

バンドを組み

練習をしたりライブをしたり

他学校のライブを見に行ったり

他学校の友達が出来たり

それはそれはアクティブに楽しく

高校生活を送っていました。

 


でも楽しかったのは1年生までで、

2年生の途中から、不登校になりました。

 


わたしの学校では

高校2・3年生のクラスは

進路によって決まることになっていて

1年生の時には同じクラスだった

バンドメンバーたちとクラスが離れてしまい、

初めのうちは

クラスを行き来してお弁当を食べたり

屋上や中庭に集まって

次のライブ何の曲やるー?なんて

話し合いをしたりしていたのですが、

段々と、

クラスが違うと授業の進度も違ってくることで、

休み時間にテスト勉強をしなければならなくなったり

次の授業の予習をしなければならなくなったりと

わたしのクラスはどんどん忙しくなり

メンバーと顔を合わせる機会が減ってしまい

練習をすることやライブをすることも減ってしまい

少しずつ溝が出来てしまっていました。

ただ、

わたし以外の3人のメンバーは

同じクラスだったりクラスが近かったりして

わたしの知らないところで

一緒にお昼を食べたり

話し合いをしたりしていたようで、

遂には、

 


「新しく(わたし抜きで)バンド始めることにしたから」

 


と、言われてしまいました。

 


それはもう、泣きました。

ロッカーの隅で、泣きました。

メンバーしか友達がいなかった高校生活。

クラスに戻っても今更誰とも仲良くなれない。

そもそも、進路によって分けられたクラス。

頭が良くて勉強熱心なクラス。

その温度差に急にはついていけませんでした。

 


徐々に

学校に行くのが嫌になってしまいました。

不登校の始まりです。

学校に行っても友達がいない。

他クラスに友達がいたわたしは、

同じクラスの子たちとは少し距離があった。

その友達を失ってしまったショック。

また、バンドがなくなっちゃったので、

必然的に部活もなくなってしまった。

わたし以外のメンバーは、

今日も楽しく練習をしてる。

オリジナルの曲なんて作っちゃったりして。

 


朝電車に乗っても、

学校に行くことを想像すると

怖くなってしまい

そのまま戻ってきてしまったり。

学校に行っても、

お腹が痛くなってしまって

早退して帰ってきたり。

過敏性腸症候群というやつです。

 


遅刻なんて毎日。登校すれば珍しい。

夜眠れなくなり、朝起きれなくなり、

昼まで寝ていて、学校に行けず、、

今思うと、鬱になっていたのだと思います。

統合失調症かどうかは、分かりません。

でももしかしたら、この時既に、

そうだったのかもしれません。

そんな生活を、高校2年生から3年生にかけて

ずっと送っていました。

 


その頃は、抜毛症でもありました。

勉強しながらついつい髪の毛を抜いちゃう

最終的に、10円ハゲみたいなものが

出来てしまっていたりしました。

また、この頃リストカットや、ODもしていました。

自分からそういったネットの掲示板を見て、

リストカットしちゃった~なんていう

画像を挙げている子を見たりして

わたしもやってみようかななんて思ったりして

影響されやすいタイプなので

いま考えると、馬鹿だなと思いますが…

昼間寝て、夜起きて、リストカット、OD、、

もう、まさに闇の中にいました。

 


遅刻ばかりで学校にすら来ないわたしに、

学年主任の先生から

「週2日でいいから遅刻しないで来れない?」

と言われたこともあります。

(本来なら遅刻3回で呼び出し)

また、とにかく学校に行っていなかったので

高校3年生になったとき

担任の先生から、

自宅に電話がかかってきたこともありました。

その時わたしは学校を休んで家にいたので

電話の内容を聞いていたのですが、

出席日数が足りないので

このままだと卒業が危ないですと。

電話を受けた母は、

えーそうなんですかー

でも何とかなりますよね?的な感じで

楽観的に捉えていたようですが

担任は、

これは危機なんですよと

本当に卒業出来なくなるかもしれませんよと

お母さん深刻な状況なんですよと

切羽詰まった感じで訴えてきていて

でも、担任もわたしを卒業させてあげたいと

思ってくれていたみたいで

テストを受けて成績が良ければ僕が何とかします

と、言われました。

 


実際卒業は出来たので

何とかなったのですが、

かなりギリギリのところにいたのは

間違いないと思います。

 


クラスでも、

かなり浮いた存在だったと思います。

受験間近の時期に、学校に来ないわたしに

「あの子勉強大丈夫なのか」

「こんな時期に学校に来ないなんてどうかしてる」

「受験失敗するに決まってる」

と、思われていたと思います。

(被害妄想かもしれませんが)

でも、腫れ物に触るように

みんなわたしにあまり話しかけようとは

してきませんでした。

差し障りのない程度のコミュニケーションのみで

突っ込んだ話はしてはいけないというような

そんな感じの空気が流れていました。

 


休みばかりになっていたわたしには

ノートを貸してと頼める人もいない。

授業についていくのも必死でした。

余計に学校に行きたくなくなるわたし。

学校に行かず、昼間は寝て、夜勉強して、

ひとりでひたすら受験勉強をする毎日。

これは後から聞いた話ですが

先生たちも、

わたしは確実に浪人するだろうと

職員室では話題になっていたそうです。

 


しかしわたしは、

第一志望の大学に受かってしまいました。

この報告を聞いた時、

職員室がざわついたそうです。笑

誰も受かると思ってなかったよと、

後で、ある先生に言われました。

中学受験といい大学受験といい

どうやらわたしは

本番に強いタイプみたいです。笑

 


と、いうわけで、無事進学先も決まり、

卒業も出来ることになりました。

バンドメンバーとは、卒業になっても

誰とも一度も口をききませんでした。

 


そして、これは、後日談。

大学に受かってしばらくして。

大学生活が始まって少しした頃。

ふと、

「あれ、空ってこんなに明るかったっけ」

「もっと灰色がかって見えていなかったっけ」

と気付きました。

本当に、目に見える世界の色が

違って見えていたんです。

大学に入る以前は、世界が灰色に見えていた。

それが、大学に入ってからは

本当に、少し明るくなっていたのです。

ああ、本当にわたしは暗闇にいたんだ。

ああ、わたしは暗闇から抜け出せたんだ。

心からそう実感しました。

 


高校最後の2年間は、暗闇の中での生活でした。

何とか踏ん張って、大学に入れて良かった。

クラスでは最後まで浮いた存在だったけど、

それでも一人頑張って良かった。

 


そんなこんなで、不登校3回目の終わりです。