不登校児~大学3・4年生編

第4回不登校話です。

最終章です。

 


最後の不登校は、大学3・4年生。

きっかけは、自分でもあまりよく分かりません。

3・4年生としてるのも、

いつから不登校になっていたのか曖昧なためです。

徐々に徐々に学校に通えなくなっていった、

そんな感じでした。

 


わたしは大学を留年していて

5年生まで通っていたのですが、

それは3・4年の頃授業にほとんど出ておらず

単位が足りていなかったから

また卒業論文も書けていなかったからです。

 


その時のわたしの状態は、

夜全く眠れず明け方の3時4時頃まで起きていて

しかし過眠状態であったので

起きるのが18時19時頃になっていました。

ご飯が食べられなくなっていったり

そのためどんどん痩せてしまって

人からどう思われているかに過敏になり

人に会いたくなくなったり

例えばわたしのいないところで

わたしの悪口を言われてるんじゃないかと

不安になったり

でもその不安を誰にも打ち明けることが出来ず…

そんな生活を送っていました。

 


4年生の時点で卒業論文を書くとなったときに

書くのは来年にしたらどうかとゼミの先生に言われ

わたしは先生の前で号泣しました。

卒業出来ないショックと、悔しさと、不安と。

でも、5年生になって論文を書くにあたり

本来ならゼミへの出席が義務なのですが

わたしの体調を気にして下さって

先生はゼミには出席しなくていいと言って下さり

一年間ずっと個人面談で

論文指導をして下さいました。

おかげで、5年生で卒業することが出来たので

先生には本当に感謝しています。

 


また、わたしは軽音サークルに所属していて

バンドを組んでいました。

練習やライブも結構な頻度であり

飲み会も多かったです。

ただ、3年生・4年生になってからは

練習も休みがちになったり

夜の練習にしか行けなかったり

飲み会は不安で参加できなかったり

サークル活動もあまり出来ていませんでした。

 


バンドの練習は

出来るだけ休まないように

休むとしても必ず事前に連絡を入れるように

心がけていたのですが

ある日やはり18時か19時まで寝ていてしまって

練習に間に合わなかったことがあって

その次の練習で、

バンドメンバーから

「そんな人だと思わなかったよ」

と言われたことがありました。

ショックで涙が出て来てしまいました。

泣くのをバレないようにギターを弾き続けました。

わたしだってこんな人なはずじゃなかった。

好きでこんな生活してるわけじゃない。

いろんな感情が渦巻いて

涙が止まりませんでした。

 


そんなある日

突然学科の先輩から

何の話もしていないのに、

「病名はついてるの?」

と言われました。

何の話かわからず、

え?と聞き返したら

病院に行った方がいいよと言われました。

まずは大学の保健管理センターがあるからと

先生を紹介してくれました。

その先輩が

わたしの何を見てそう言ってくれたのか

わたしはわかりません。

でも、その時の言葉は、

確実にその時のわたしを救ってくれました。

 


その後大学の保健管理センターに行き

眠れないことや起きれないことや

不安なことを色々話しました。

そして軽い薬を出してもらって、

わたしは病気だったのか…?

と、当時は頭が混乱していました。

 


でも、その学科の先輩も、病気を持っていて

お話しているとわたしと一緒のことが多くて

同じ悩みを抱えている人がいたんだ、と

なんだ、一人で悩まなくて良かったんだ、と

本当に心が軽くなりました。

 


今でもその先輩とは、頻繁に会って

色んな相談に乗ってもらっています。

 


ただ、大学の保健管理センターは予約を取って

カウンセラーさんと面談をするのですが

起きられなくて何度もキャンセルをしていたら

「もう来なくていいです」

と言われてしまい…

ちょっとした絶望感に苛まれました。

カウンセラーさんがそんなこと言うかねと、

今思えば酷いなと思いますが…

 


また、この頃も、高校生の時と同じように

保健管理センターで出された薬をODするように

なっていました。

ふらふらと酩酊した感じがとても心地よく感じて

本当はいけないのですが、

市販薬にも手を出してODしてしまっていました。

 

 

 

大学では、授業には、ほぼ出ていませんでした。

それこそ高校時代と同じように、

大学の学科も真面目な子が多かったので、

わたしは学科の中でも浮いた存在で

授業に出るのが稀すぎたので

「大丈夫なの?」

「ちゃんと学校来なよ」

と、学科の友達に言われていました。

それもまたプレッシャーで、

学科の友達にどんどん会いづらくなり、

大学へ行っても授業には出ない、

なんて日も多々ありました。

 


鬱病は時に記憶障害も併発しますが、

わたしはこの辺りの記憶が曖昧というか

あんまり良く覚えていないです。

 


なんせ昼夜逆転の生活を送っていましたし

心の中も真っ暗だったので

覚えていることが少ないのです。

 


記憶が曖昧なことで

はっきりとしていることは、

わたしのいとこの結婚式が

大学3・4年生のときにあったのですが、

その結婚式のときの記憶が

全くないのです。

出席したことは確実なのに、

出席したこともどんな結婚式だったかも

全く覚えてないのです。

 


そんなことある?と思いますよね。

それがあるんですよね。

その一瞬の記憶だけないっていうことは

考えられないので

その辺りの記憶が丸ごとないのだろうと思います。

 


その辺りがどの辺りなのか

その辺りに何があったのか

それすらもよく思い出せませんが…

 

 

 

留年が決まってからは

もうポカーンとした日々を送っていました。

わたし卒業出来るのかな。

卒業論文なんて本当に書けるのかな。

これからどうなっちゃうんだろう。

 


そんな時に現れたのが、今の彼氏くんです。

同じサークルの先輩でしたが

ひょんな事から付き合うことになり

はじめの頃はわたしの精神の不安定さに

彼の前では泣いてばかりいましたが、

その彼も2留していたため

いつからか

ふたりで頑張って卒業しようという意識が

芽生えました。

 


そんな気持ちを抱えて

5年生になりました。

 


5年生になってからは

ふたりで協力して一生懸命頑張って

単位も取って卒業論文も書いて

お互いに卒業することが出来ました。

 


彼がいなかったら、

わたしは絶対に学校に通えていなかっただろうし

まず通う気になれなかっただろうし

彼も同じだったろうと思います。

 


そういう意味ではとても感謝しています。

 


最後の不登校は、

理由すら思い出せない、記憶が曖昧な感じです。

理由なんてなかったのかもしれません。

もう、その時から既に統合失調症は発症していて、

段々とそうなっていった、

そういう波のひとつだったのかもしれません。

だけど色んな人に迷惑をかけて、

傷ついたり、落ち込んだり、

色んな感情が渦巻いていた状態でした。

そして、もし彼氏くんがいなかったら、

今わたしはどうなっていただろうと思うと

少し怖い部分もあります。

 


そんなこんなで、最後の不登校のお話でした。

 


もう昔のこと過ぎて、

覚えていないことも多かったですが、

4回にわたって、不登校のお話について、

拙い文章ですが、書かせて頂きました。