不登校児~お受験塾編

第2回不登校話。

 


前回は幼稚園でしたが、

小学校はちゃんと行けていました。

小学校は楽しかったな。

友達もたくさんいて、毎日遊んで、、

 


ただこれまた母親の教育方針で

日能研の通信教育をやっていて

学校の勉強に加えて毎日難しい勉強をさせられ

お受験もすることになっていました。

 


塾に通い始めたのは4年生の終わりかな。

どうせ通うなら老舗の四谷大塚

それも本校舎の御茶ノ水

という母のこだわりで、

学校帰りに千葉から御茶ノ水まで通っていました。

 


毎日、学校帰りは御茶ノ水

塾の宿題もあって、通信教育の教材もあって

学校の宿題まで手が回らず、

学校で先生に怒られたこともありました。

 


友達とも遊べなくなり、

なんでこんなことしているのだろうと

疑問に思うこともありました。

でも親の決めたことは正しいと

塾に通い

中学受験をすることが正しいと思っていました。

 


四谷大塚御茶ノ水校舎は、

千葉なんて遠くから来ている子なんていなくて

友達がなかなか出来なかった記憶があります。

ただ、通っている内に段々と

仲の良いグループが出来るようになったのですね。

 


でもある時、

友達からいきなり無視されるようになりました。

きっかけは、別のグループの女子たちとたまたま

お弁当を一緒に食べたこと。

その日を境に、

友達からハブられるようになりました。

 


これまた相当記憶に焼き付いていることが、

塾で机に着いたら、

机の引き出しの中に

真っ赤なペンの字で

「裏切り者!もううちらとは関わんないで!」

と書かれたメモが入っていました。

これは相当怖かったです。

だって真っ赤なんだもん。

それに友達をなくしてしまった。

一度たまたま一緒にお弁当を食べただけの

グループに入れてもらうわけにもいかないし、

あー、ひとりになってしまった

この時そう思いました。

 


それから、本当に誰も一緒にお弁当を

食べてくれなくなり、

ただわたしも、あの子ハブられてるんじゃない?

なんて思われたくない、というプライドがあり

塾でお弁当を食べることを辞めました。

お弁当の時間はひとりで寝ているか

トイレにこもっている。

お母さんが持たせてくれるおにぎりは

駅でごみ箱に捨てて、食べたことにして帰る…

今考えると、お母さんごめんなさい

という気持ちでいっぱいになります。

その時のことを思い出すと

今でも少し泣きそうになります。

 


何で受験勉強のための塾でまで

友達関係で悩まないといけないんだろうと

もう嫌になってしまい、

わたしは塾に通うのを辞めました。

大丈夫。小学校に行けば友達はいる。

受験勉強なんて一人でできる。

過去問をひたすら解いて、

塾のテストだけは受けに行って、、

 


それでもわたしは志望校に合格出来ました。

わたしをハブってた子たちよりも

偏差値の高い学校に。

塾の先生には大層驚かれましたが。

それだけがざまぁという唯一のプライドです。

 


こうして2度目の不登校が終わったのです。

2度目の不登校は軽いいじめでした。

 


だけど小学校という逃げ場があって

わたしにはとても良かった。

 


小学校に行けば大好きな友達がいる。

塾に行く必要なんてない。

 


それだけに、

わたしは中学受験をしたくはなかった

友達とそのまま一緒にいたかった

そういう気持ちも、未だにあります。

 


わたしの人生は、

親に勝手に決められたこと

それに抗えなかったこと

それで後悔していることが多いです。

 


やり直せるなら、

わたしは小学校からやり直したい。

 


あの頃が一番、わたしはわたしだった。